2013年11月29日金曜日

究極の筋量 vol.32 ボディビルディングの光と影

以前読んでいた隔月刊誌「ホットバイク・ジャパン」の編集長である池田伸さんが書かれていた記事で「チョッパーの光と影」というものがあった。

反骨精神とバイク乗りについて書かれたその記事は当時の私の心を貫き、サムライが刀を研ぐようにバイク乗りはフロントフォークを伸ばすというフレーズは強烈に記憶に残ることとなった。

これをボディビルディングに置き換えてみるとサムライが刀を研ぐようにダンベルを持ち上げ、チョッパーのフロントフォークを伸ばすように筋肉を収縮させる、ということなのだろうか。

求める道が自由であるとするならば自由とは一体なんなのだろう。
ただ単なるトレーニングで究極の自由が得られるのか?

ウェイトトレーニングとボディビルディングとの違いはここにある。

ボディビルディングはバーベルをただ上げ下げするだけではないのだ。
表面上だけのマシントレーニングでボディビルダー達の究極の筋肉が得られるはずもない。
まして、安易にドラッグに頼る道(すなわち、ボディビルディングの影)など愚の骨頂であろう。
ドラッグユーザーとナチュラルボディビルダーの筋肉の違いをブロイラーと地鶏の違いだ、と例えたのは言い得て妙だろう。

チョッパーは生き様であり、ライフスタイルだ、とはよく言ったものだ。ボディビルディングもまさに生き様であり、ライフスタイルだ。

自分の信じる道がボディビルディングであるならば私はその道を進む求道者として究極の肉体を得んがために日々筋肉を収縮させ続ける。

このレップが最後のレップであるならば「もう1repできるだろう」とのど元に刃を突き付けられたとしても全く筋肉が動かない状態まで追い込むのだ。

ボディビルディングの光と影。光が求道であり、影が逃避ということになるのだろうか。