結局のところ言い訳は言い訳でしかないのだ。
仕事が長引いた。昨日のトレーニングから回復しきれていない。雨が降り出した。急に仕事が入った。妻を病院へ連れて行かないといけない。車のガソリンがない。もう歳だから。トレーニングパートナーがいない。あのジムではダメだ。フリーウエイトがない。マシンがない。倦怠感。頭が痛い。腕が痛い。脚が痛い。宿題が終わっていない。十分な栄養補給ができていない。食べ過ぎて動けない。
すべて言い訳なのだ。今、トレーニングをしなければならない。
あなたが言い訳を考えている間にライバル達はあなたよりも数倍苦しいトレーニングをその身に課している。飛びつくようにウエイトを握りしめなければならないのだ。限界までウエイトを上げ、筋肉を絞り上げ、極限の筋収縮を求めなければならない。
頭で考える前に本能で苦しみを求め、乳酸の痛みを我が物とし、その痛みを快楽へと転化させなければならない。確かに、ハイ・インテンシティ・トレーニングを経験した者ならば、前回のトレーニングで自分がどれ程の苦しみを耐え抜いたかを記憶しているが故に、再びそれ以上の苦しみを肉体に与え、それを乗り越えてこそよし、としなければならないことに恐怖を感じるのかも知れない。
だがしかし。
そうでなければならないのだ。
あなたが行っているのは健康維持のための軽いトレーニングではない。究極の筋量を得るためのトレーニングを行っているのだ。痛みを追い求めてこそよし。恐怖を我が物とできることが求道者のあかし。精神が崩壊する寸前まで筋肉を追い込み、追い込んでいくのだ。
2013年5月31日金曜日
2013年5月14日火曜日
究極の筋量 vol.24 究極のトレーニングに臨む精神(ハイ・インテンシティ・トレーニング HIT)
一週間に一回だけ、全身全霊のトレーニングを行っている。
ヘヴィデューティではないが仕事の兼ね合いで結果、こうなっているだけのこと。
トレーニングについては賛否両論、色々な考え方、やり方があるので、何が良い、何が悪い、ということはないのだが、自分とウエイトの向き合い方として、どうしても軽く行うトレーニングというのができないのだ。
つまり、軽めのベンチプレスとフライだけやって終わり、みたいな練習であればやらない方がましだ、と思ってしまう。
やらないよりは少しでもやった方が良い、という考え方もある。
5分あればダンベルカールができる、など。
マイク・メンツァーのように極限の集中力で究極のトレーニングを求めるやり方もある。
私は後者が好きだ。
だから、思い立ったように今日はトレーニングをしようか、みたいなことはできない。
トレーニングのためにすべてを準備し、心をそこに向け、気持ちを昂ぶらせて行く。
イメージトレーニングを行い、今日やるトレーニングを思い描き、すべてのセットを完遂する自分を想像する。実際のトレーニングは録画の終わったビデオをその通り再生するだけだ。
ウエイトの重さ、鉄の匂い、グリップの感触をイメージし、そのウエイトを使って筋肉を攻め上げる自分を外側から見つめる。
前回のトレーニングでこのウエイトを上げたときの苦しさが解っているからこそ、ウエイトを目の前にしたとき、「また、あの苦しみを超えなければならないのか?」と自問してしまう。
「超えなければならない」
常にもうこれ以上はできない、というトレーニングが長くは続かないと巷では囁かれているが、現実、そんなトレーニングを続けている人間だけが頂点に上り詰める。
また今日も、昨日作った新記録を塗り替えていく自分がいる・・・。
ヘヴィデューティではないが仕事の兼ね合いで結果、こうなっているだけのこと。
トレーニングについては賛否両論、色々な考え方、やり方があるので、何が良い、何が悪い、ということはないのだが、自分とウエイトの向き合い方として、どうしても軽く行うトレーニングというのができないのだ。
つまり、軽めのベンチプレスとフライだけやって終わり、みたいな練習であればやらない方がましだ、と思ってしまう。
やらないよりは少しでもやった方が良い、という考え方もある。
5分あればダンベルカールができる、など。
マイク・メンツァーのように極限の集中力で究極のトレーニングを求めるやり方もある。
私は後者が好きだ。
だから、思い立ったように今日はトレーニングをしようか、みたいなことはできない。
トレーニングのためにすべてを準備し、心をそこに向け、気持ちを昂ぶらせて行く。
イメージトレーニングを行い、今日やるトレーニングを思い描き、すべてのセットを完遂する自分を想像する。実際のトレーニングは録画の終わったビデオをその通り再生するだけだ。
ウエイトの重さ、鉄の匂い、グリップの感触をイメージし、そのウエイトを使って筋肉を攻め上げる自分を外側から見つめる。
前回のトレーニングでこのウエイトを上げたときの苦しさが解っているからこそ、ウエイトを目の前にしたとき、「また、あの苦しみを超えなければならないのか?」と自問してしまう。
「超えなければならない」
常にもうこれ以上はできない、というトレーニングが長くは続かないと巷では囁かれているが、現実、そんなトレーニングを続けている人間だけが頂点に上り詰める。
また今日も、昨日作った新記録を塗り替えていく自分がいる・・・。
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